――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
お坊さんでも悩む?
−若者が求めているものは何か?
2012/1/24
まずは、毎日新聞の記事(2012年1月9日)から一部引用:
・兵庫県の寺の長男。跡を継ぐつもりで京都大大学院に進み、仏教の文献学を学んだ。
だが、家業の手伝いで檀家(だんか)のお年寄りを訪ねると、話題は天気や足腰の具
合ばかり。「これって別に、僕がやらんでもいいやん」。
「葬式仏教」と言われて久しく、その葬式も年々簡素化され、寺を訪ねる住民は減っ
ていく。「俺たち必要とされてない?」。転職に備え、コンピュータープログラミン
グの勉強に走ったりもした。
「違う宗派と付き合って何になる」と周りは冷ややかだったが、「普通の会社でもラ
イバルのことは学ぶはず」。若者からの反響やテレビ取材が増えるにつれ、次第に理
解者は広がった。
悩んでいる人に神さま仏さまの話も何かねえ……。そこは、一生懸命生きていかな
いと。みんな逃げたら、この社会良くならないから。
(引用終わり)
個人的に印象的な言葉は以下の言葉:
・「これって別に、僕がやらんでもいいやん」。
・「俺たち必要とされてない?」
今の若者は(このお坊さんを含めて)、団塊世代、バブル世代のように、金ばかり
を求めていない。金と言うよりも、心の充足を求めている気がする。
つまり、自分にとって何か意味が感じられる仕事がしたいのではないか。
人間として、若い世代は魂が成長していると感じるのは自分だけだろうか。
もちろん、仮に今でも景気が良かったら、このような考え方(金ではなく、心を充
足させるために意味を求める)は、それほど一般的には生まれて来なかったのかもし
れない。
逆に言えば、昔の世代は景気が良かったゆえに、心に焦点を深く当ててこなかった
(なんとなく無視してきた、あるいは無視することができた)のだろう。
人間はやはり進化しているのではないか。
物質的な富を求める時代から、精神的な豊かさを求める時代に入った(あるいは強
制的に放り込まれた)感じがする。
つまり、その人の段階(精神のレベルみたいな)にもよるが、給料や物質的な環境
に満たされていたとしても、その仕事自体に意味が感じられなかったり、人のために
なっていないなどと感じた場合、なぜか仕事を辞めたくなったりするのではないか。
心が乾くと言うか。
しかし、ということは、非正規雇用(派遣、バイト、契約、パートなど)でもなん
とか生活はできている人が多いということなのかもしれない。
おそらく親と同居している若者が多いと想定できる。だが、いつかその支えがなく
なったとき、果たして生きるためだけに必死に仕事(嫌いな仕事でも)ができるだろうか。
あるいは、必死に嫌いな仕事をしたからといって、まともな生活ができるような給
料が得られるだろうか。
いや、得られないだろう。今でさえ、嫌いな仕事を必死に頑張ったからといって、
まともな給料を稼げない場合が多いだろう(あるいは体を壊すとか)。
そう考えると、生活レベルを限界まで下げて、少なくても生活できる最低限の収入
を気楽に、そこそこ稼げればいいと考える若者が増えてくるのも納得できる(いわゆ
る下流社会というやつ)。
実際に、そのような生き方が、新しい幸せな生き方の主流になるのかもしれない
(健康の維持なども考えると)。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――