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2011/4/04

 なぜそのような不一致が存在するかというと、おそらく、その人に存在する何
らかのファンタジーや夢、理想(あるいはコンプレックス)みたいなものに、強く
引きずられているのだと思う。

 それまでの経験や学習してきたことから、容易に離れられないというか。以前
にも書いたが、勉強はそれほど難しくないのだ。順序を踏まえて、何度も復習し、
少しずつ努力してゆけば、誰でもそこそこできてしまうものだと、個人的には思っ
ている。車の免許みたいなものだろう。

 ただし、昨今の厳しい社会を勝ち抜くには、努力の前の段階、つまり、才能が
必要だ。

 何も大げさな話ではなく、要は、絵を描くのが苦手な人は、多少努力したとこ
ろで、絵を描くのが得意な人のようには、ほぼ描けるようにならない。

 また、音痴な人は、多少練習したところで、歌が得意な人のようには歌えない。

 趣味での話なら別である。いろいろと努力して、楽しんで自己啓発に励めばい
いが、お金を頂くとなるとそうはいかない。

 現在(および今後)は、絵が得意な人が自然とうまく絵が描けるような、また、
歌が得意な人が自然と上手に歌を歌えるような、自分のそのような才能に基づ
いた仕事を選択しないと、生き残ってゆくのが難しいと感じる。

 日本は労働市場に柔軟性がないので(新人生にも書いた通り)、特に若者は、
大学時代にしなければならないことの第一に、この自分の才能(適性)を発掘す
ることが来るだろう。自分の才能を知るのは、早ければ早い方が、就職活動にも絶
大的に有利になるはず。また、入社後も、スムーズに仕事をこなしていけるはずだ。

 いくら内発的モチベーションに沿って(好きだからと言って)その道に進んで
も、適性〔上記の例(絵、歌)のような、自分の核となる才能〕がないと、いずれ
内発的モチベーションも下がってくる。

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