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幸運のジャックポット

2011/7/26

 真面目に努力をして生きているのに、生活が一向によくならない。希望が見えない。
人生には、そんな時もある。

 努力をしているのに結果が出ないことほど、辛いことはない。だが、結果はすぐには
出ないものだ。

 ただ何もせずに、棚からぼた餅のように幸運を引き寄せたいと願っている人よりも、
しっかりと目標を定めて、日々努力をしている人の方が、もちろん幸運を手にする確率
は高いだろう。

 努力とは関係の無さそうな、棚からぼた餅ほど怖いものはない。それを知っている人
は結構いるのではないだろうか。

 証拠として、宝くじに当選したのに、換金に行かない人が多い。大雑把な数字ではあ
るが、毎年数十億円規模の未換金(日本)が出ているようである。

 せっかく宝くじにあたったのに、換金に行かないのはなぜか。おそらく潜在的に、棚
からぼた餅のような幸運の恐ろしさを感じているのではないか。

 結局本当の幸せは、幸せの意味とは、自分で努力して、あるいは学びながら苦を乗り
越えて、質素ながらも平穏無事に、五体満足で生活できることなのかもしれない。

 だから、頑張っているのに結果が出ないときは、幸運を貯金していると考えるといい。

 カジノなんかのゲームで、ジャックポットというやつがある。無駄弾を撃っているよ
うに見えても、実は幸運を貯金しているだけなのかもしれない。

 幸運を手にする近道はないし、幸せになるための近道もない。

 たいてい、幸運を手にするまでの道のりは長いし、もうダメだと諦めかけた時に、よ
うやく道が開ける感じではないか。

 まして、現代は超逆風。バブル時代のように並の努力では、幸運を引き寄せることは
難しい。

 また、実は十分幸運なのに、それに気が付かない人もいる。幸運は、目に見える形だ
けのものではない。むしろ、目にみえないものの中にこそ、本当の幸運があるのではな
いか。

 目に見える幸運(お金など)だけを追いかけていたら、本当の幸運を見逃しかねない。
いや、逆に不運に招かれる可能性もあるだろう。そして、失って初めて自分が幸運だっ
たことに気付くことも…。

 幸せになりたい、幸運を手にしたいと考えているようでいて、実はただ楽をしたい
考えている場合もある。

 人生とは不思議なもので、幸せになりたい、幸運を引き寄せたい(特に楽をしたい)
と考えているうちは、それが実現できないものである。

 むしろ、ある日突然、逆の方向へ人生が向いていく場合もある。そして、苦を経験す
ることに…。

 その苦しい中で、幸せの近道とか、幸運を呼ぶなんてことを考える間もないほど必死
に生きて、苦の中でいろいろ学んでいると、ある日突然忘れた頃に、幸運の女神が微
笑んでくれたりもする。

 人生は結構長く、前半、いや60歳頃まで幸運だったとしても、それが自分に不相応な
幸せだった場合(自分の才能や努力とは関係なく、棚からぼた餅的な)、人生の終盤で、
言わば運という借金を返さなければいけなくなる人もいるだろう。こういう人は、ただ幸運
を前借りしていただけなのである。

 人生とは本当にわけがわからないものだ。だが、このわけがわからない展開を経験す
ると、それこそ人生に畏怖の念を持たざるを得なくなる(理屈を超えたものが存在すると…)。

 日々の努力は間違いなく蓄積されているはず。その蓄積された幸運のジャックポット
を、いつか必ず、幸運の女神が解き放ってくれるはずである。

 だから、苦しい時はできる範囲で頑張ろう。そして、目にみえない本当の幸運や幸せ
に感謝しよう。

 この自然で実直な感謝の念に包まれると、物理的な幸運にも(合理的な範囲で)恵ま
れる日が近いかもしれない。

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